自民が「国家を愛情と気概をもって支え守る責務」を規定した憲法草案を作った訳について、ひとつの理解の仕方を示した。
つまり、①皆自分のことしか考えておらず、自分勝手だ。まとまりがなくなった。そう考えているのではないかと述べた。
だからこそ、愛国心を国民に持たせることで、個人の「自分勝手」な行動を抑え、「まとまり」をもたらそうとしているのだ、と考えられる。
自分勝手とは、自分のことだけを考え、他人のことをかえりみない態度のことと説明すれば、大きな異論はないだろう。
「
権利に義務が伴うのが当然?」で述べたフリスビーと読書の例を使うと、フリスビーをしている人が公園で読書をしている人に「フリスビーは公園でしか出来ないが、本は家でも読めるのだから、この場所は俺たちに使わせろ」(こんなことを言う奴がいるとは思えないが)と言ったのなら、自分の自由のことだけを考え、他人の自由をかえりみない態度であるから、この発言は自分勝手と評価される。
以前述べたように、この発言者が学ぶべきことは、自分と他人の利益が衝突した時お互いの利益を調整することである。個人主義を誤解しただけであり、それを教えてあげればいいだけだ。
しかし、こうした指摘がなされないのは、相手がいい大人だからという理由だけではない。
実は「自分勝手だ」と述べる発言者が個人主義を同じように誤解しているからにほかならない。この誤解の理由は、後に述べるが、こうした発言がなされるのは、個人主義への誤解だけではなく、
さらに日本社会で皆が共有している(と信じている暗黙の)ルールに反していると発言者が考えているからだ。
日本社会の暗黙のルールに反しているから、「自分勝手」だし、「まとまり」がないのだ。
まず、この「日本社会のルール」を明らかにしたい。
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